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■ 第一家庭電器と、そのオーディオ販売の概要

DAMPCメンバー 尾頭重徳

 1. 第一家庭電器と、そのオーディオ販売の概要

第一家庭電器は創業者の永長佐京がメーカー系列色のない、お客様が希望する商品を取り扱いすることを目的として昭和33年10月(1958年)に東京都港区新橋の地に設立されました。特定のメーカーのみを販売する電気店が多い中、色々なメーカーを比べることができる事が、お客様の支持を得たのです。

その後、社是による会社理念

「大衆の資本によって、大衆に正しい商いを、大衆へ利益を還元する、そして大衆に支えられた商人こそ栄える」

に基づいた多店化展開、同業他社が追随できない、迅速で親切なアフターサービスの充実、クレジットがまだ無い時代にどなたでも簡便に買える独自の月賦販売制度などにより順調に業績を伸ばし、昭和46年12月(1971年)には電気専門量販店として初めて株式を東京証券取引所市場第二部し、さらに、昭和49年4月(1974年)には、電器小売店としては、最初に株式を東京証券取引所市場第一部に指定替え上場しました。

第一家庭電器は創業当時から、積極的な宣伝展開を行ってきました。当時の家電販売店はメーカーが宣伝して店はその商品を販売するとの考え方が一般的であったと聞いています。

このような中、昭和35年頃に文化放送で「わが家のリクエスト」というラジオ番組をもっていて、音響ファンにご奉仕していたと聞いています。

昭和40年代前半には、テレビでも東京12チャンネルから、第一家庭電器1社(このころは小売店の提供は珍しかったとのこと)の定時番組として超一流の歌手が出演した「日本の涙・演歌一本勝負」を提供していました。この番組は後の長寿番組となった「演歌の花道」へと続いていったと聞いています。またお子様向けにはアニメ「ドラえもん」を長らく提供していました。

第一家庭電器は、創立当初から、オーディオや映像については積極的に取り扱っていましたし、経営トップが音楽の良さや楽しさについて非常に理解が深い会社でもありました。

また、顧客を対象とした、創立間もない読売日本交響楽団を借り切っての招待コンサート、渡辺貞夫の生録音会、デュークエイセスの日比谷公会堂での招待コンサート、などの大型施設での歌謡コンサートやカラオケ大会なども数多くおこなってきました。これも全て社是の精神の実行でもありました。

又その結果、当社が首都圏のお客様から親しみをもたれ、家電量販店で有りながら、オーディオとビジュアルが専門のDAC店展開が成功する礎でもあったと思います。

筆者は昭和44年に入社し秋葉原の万世橋に配属され、小岩店、秋葉原中央店に昭和50年まで勤務しました。同年DAC2号店のDAC千葉の店長を任されたあと、昭和53年本社商品部のオーディオ商品の担当となり、オーディオファンのDAM会員の皆様を対象とした、生録音会、DAM45の収録コンサート、DAC店舗における評論家を招いてのセミナーなどなどの開催をしてきました。どのイベントでも、いつも参加していただいたオーディオファンの方々との面識もできて楽しい催しであったと今でもよい思い出です。

その後、DAC店も各地に増え、会員数もうなぎ登りに上昇して、オーディオ・ビジュアル関連の売り上げ大幅アップに伴い、DAM45等の音楽ソフトを継続的に製作し皆様にご提供できたと考えております。

全国に先がけて、ご家庭でカラオケを楽しめるカラオケ・レコードの独自開発とそのシステムを苦労して企画・開拓販売をしてきました。そのお陰か、その後、カラオケの全盛時代を迎え、当社はテレビショッピングでも大晦日まで大変な売り上げを記録したのです。その頃、本社商品部のオーディオ担当となりましたが、飛ぶような売れ行きのカラオケ装置やカラオケソフト、マイクなどの商品手配に忙殺される日々が続きました。とにかく当社では、機器とソフトは商売の両輪であると考え、実践した結果が、オーディオビジネスの成功に繋がったと信じています。

一電気量販店がこれだけハイレベルのイベント開催やレコードメーカーやオーディオメーカーもが注目したDAM45を始めとするソフトを15年もの間製作したことは過去にも今後もないことと思われます。

イベントの開催やDAM45等の製作にあたりましては、第一家庭電器をご愛用頂きました多くの客様、長年にわたり一電気量販店とお付き合いいただいた東芝EMIの小山様を中心としたスタッフの皆様、キングレコードの高和プロデューサーやスタッフの皆様、その他関係者の皆々様のお蔭と深く感謝しております。

今回の「DAM45について」をご覧いただき第一家庭電器が「こんなこともやっていたの?」と思っていただければ幸いです。

昭和63年度(1988年度)には首都圏を中心にレギュラー店舗129店、フランチャイズ店舗64店の合計193店舗を展開するまでにお客様の支持を頂戴しました。

しかし、経営方針の変更があり、白物家電やパソコン中心の営業政策になったことで、小型店舗が多く、駐車場も少なく、車社会のニーズに対応できない立地の問題、さらに競合大型店の価格攻勢にさらされても対応できず、徐々に体力をそがれはじめました。

不採算店から順次閉店が相次ぎ、社員も次々と退社しました。私も平成10年(1998年)に転職しましたが、その後平成16年(2004年)、46年間の第一家庭電器の歴史が終わったことを後日知った次第です。

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